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(無題)

 投稿者:林浩司  投稿日:2006年 8月29日(火)07時22分47秒
  俺の考えでは朝廷黒幕説です。
10年くらい前、まだ、光秀が信長暗殺説が定着してたころから、たとえ光秀に殺されなくても誰かに殺されるだろうとテレビで言ってたのをみたことがあります。それでもやはり、朝廷に反感をかなりくらってたことをいっておりました。
「その時歴史が動いた」では黒幕は足利義明が有力といってましたね。
 

多分その説は?

 投稿者:管理人  投稿日:2006年 8月23日(水)18時54分54秒
   本能寺の変には、大きく絡めると光秀単独説や黒幕存在説、共謀説など、細かく分けても50以上の説がある謎の多い事件です。あなたが指摘しているのは、「信長の対朝廷政策との関連説」か「朝廷黒幕説」ではないでしょうか。

 「日本史のだいごみ」(秀和システム、吉村弘氏著、2005年刊)には、詳しく説明されています。最後は、自分で考えてみては?で、しめています。

 説が多い以上、どれがより史実に近いのかは、しっかり見極める必要はあるでしょう。
 

(無題)

 投稿者:林浩司  投稿日:2006年 8月22日(火)00時29分18秒
  これは俺の説ではなく、テレビで言ってたことです。
半径1Kmのところで1万以上の軍勢がくれば、普通なら跳びおきるはず。
のんきに顔を洗ってはいないでしょう。
そして本当の決行が午前0時だといわれています。(司馬遼太郎より)本能寺を襲ったのは午前4時ならば、天皇を襲ったあと、光秀が信長のところに向かったのではないかと、信長は考えたのかも。
ついでに言うならば秀吉はこのことを知っていたということもテレビで言ってました。根拠は曖昧ですが。
 

(無題)

 投稿者:管理人  投稿日:2006年 8月21日(月)20時57分57秒
  それがあなたの説でしたら、このような掲示板でなく、論文にして発表されたらどうですか?  

(無題)

 投稿者:林浩司  投稿日:2006年 8月21日(月)20時25分26秒
  信長が本能寺で狙われる記録。
朝起きて顔を洗ってる時に後ろから弓矢で撃たれる。
これはおかしい。
なぜなら1万以上の軍勢で本能寺に来てたのであらば、半径1Kmのところではかなりの騒音だそうだ。つまり、信長は光秀が本能寺に来る事を知っていたはずということだ。
そしてそのころ信長は自分の子供を天皇家に養子にするという話があったそうだ。
つまりそのことらを想定すると
 

下の書き込みについて

 投稿者:管理人  投稿日:2006年 8月17日(木)18時31分5秒
  根拠は??そういうのが書いてないとと、ただの面白い説になってしまいます。
注意してください。

この書き込みと関係ありませんが、他の掲示板への転載要請の書き込みは削除しました。
 

(無題)

 投稿者:林浩司  投稿日:2006年 8月15日(火)15時04分35秒
  本能寺で明智光秀が信長へのクーデターというが、実は信長の天皇に対するクーデターという説が出てきている。  

返事がなかなか書けませんが

 投稿者:管理人  投稿日:2006年 7月 6日(木)19時04分39秒
  書き込みへの返事が滞っていますが、きちっと掲示板は見ていますから、安心して書き込んでください。迷惑な書き込みは当然削除されます。  

懿徳本紀・白河本旧事紀

 投稿者:望月古亶  投稿日:2006年 6月24日(土)13時10分54秒
   下記の「懿徳本紀(白河本旧事紀の懿徳天皇紀)」と『日本書紀』の懿徳紀とを比較し、どちらが懿徳的か判断していただければ幸いである。

 《 懿徳天皇

 皇太孫(スメミマゴ)、大日本彦耜友尊(オホヤマトヒコスキドモノミコト)、懿徳天皇と諡(おくりな)す。安寧天皇の第二の皇子。母は、渟名底仲姫(ヌナソコナカツビメノ)尊、事代主(ノ)神の孫、鴨玉(カモタマノ)命の女(むすめ)なり。綏靖天皇二十九年、戊申(つちのえさる)の歳にして、生(アレ)ましけり。安寧天皇十有一年癸亥(みづのとゐ)春正月壬戌(みづのえいぬの)朔(ついたちのひ・一日)、立(たち)て皇太子となる。時き年し十六。三十八年庚寅(かのえとら)冬十月庚戌(かのえいぬの)朔乙卯(きのとうのひ・六日)、天皇崩ず。皇太子年し四十三。
 元年辛卯(かのとう)春二月己酉(つちのととり)の朔壬子(みづのえねのひ・四日)、皇太子、天皇の位に即く。時に年し四十四、秋八月丙午(ひのえうま)の朔己酉(つちのととり・四日)、安寧天皇を畝傍山の南、御陰井(ミカゲヰ)の上(カミ)の陵に葬る。九月丙子(ひのえね)の朔乙丑(きのとうしのひ・五十日)、皇后を尊んで、皇太后と曰ふ。
 天皇、嘗て群臣に謂て曰く。朕(われ)、常ねに大祖及び皇考の遺訓を思ふに、其の極(きはみ)は、則ち心あるのみなり。夫(そ)れ心の物(も)のなるや、其の体(からだ)は、是れ天。其の用(はたらき)は、是れ方(みち)。其の変(かはり)は、即ち禍(わざはひ)ありぬ。盖(けだ)し、天の体なる言ひ難し。敬(うやまひ)は、用(はたらき)なり。逸(あそふ)は、変(かはり)なり。廉(きよき)は、用なり。貪(むさぼり)は、変なり。誠(まこと)は、用なり。偽(いつはり)は、変なり。智(さとる)は、用なり。愚(おろか)は、変なり。恵(めぐみ)は、用なり。害(そこなふ)は、変なり。聖人、其の体を体し、君子は、其の用を明(あきらか)にす。小人は、其の変に処(よ)る。体を体するものは、用は則ち自(ヲのづから)ありけり。変に処るものは、体用あることなかりけり。一(ひとつ)は則ち常人の知らざる所ろなり。一は、則ち常人の能((よ)く知る所ろなり。而(しかう)して、其の用に於(おけ)るなり。則ち紛@として相濫(あひみだ)しける。人を諂(へつら)ふを敬とす。欲の為めに廉と見はる。苛察(かさつ)を智とす。好(このむ)を愛するを恵とす。謀計(ぼうけい)して誠と見はす。智ある者(も)のにあらざれば、則ち孰(いづ)れか能く之を弁(わきまへ)ん。朕、いま天の体を得て、以て方(みち)の用を立(たて)んと欲す。而(しかれ)ども未だ能(あた)はざるなり。群臣少も仮借(かしやく)することなくして、之(これ)を諌諍(いさめあらそ)はば、則ち幸ひなり。
 二年壬辰(みづのえたつ)春正月甲戌(きのえいぬ)の朔戊寅(つちのえとらのひ・五日)、都を軽地(カルノトコロ)に遷す。是を曲峡(マガリヲノ)宮と謂ふ。二月癸卯(みづのとう)の朔癸丑(みづのとうしのひ・十一日)、天豊津姫(アマトヨツビメノ)尊を立てて皇后とす。
 是の月丙寅(ひのえとらのひ・二十四日)、白食国政大夫(ケクニノマツリゴトマウスマウチギミ)を以て大臣(オホイマウチギミ)とす。大臣(オホイマウチギミ)の官(つかさ)、是よりして始りぬ。
 五年乙未(きのとひつじ)、皇后、観松津彦香殖稲尊(ミマツツヒコカエシネノミコト)を生みたまふ。
 二十二年壬子(みづのえね)春二月丁未(ひのとひつじ)の朔戊午(つちのえうまのひ・十二日)、観松津彦香殖稲(ノ)尊を立てて皇太子とす。
 三十四年甲子(きのえね)秋九月甲子の朔辛未(かのとひつじのひ・八日)天皇、崩ず。聖寿七十七歳。位に在(ましま)すこと三十四年。是の時、天下太平、万国朝貢、百姓、快楽す。

 明年乙丑(きのとうし)冬十月戊子朔(つちのえねのついたちのひ・一日)、畝傍山の南、繊沙渓(マサゴノタニ)の上の陵に葬る。
 男観松津彦香殖稲(ノ)尊》

 注、@の文字はいとへんに云。

http://www.geocities.jp/identaisi22000/

 

仲哀天皇の聖寿一百歳

 投稿者:望月古亶  投稿日:2006年 5月22日(月)16時53分54秒
  仲哀天皇九年は仲哀天皇の崩じた年である。

 『日本書紀』は次のように記す。

 《九年の春二月の癸卯の朔丁未に、天皇、忽に痛身みたまふこと有りて、明日に、崩りましぬ。時に、年五十二。即ち知りぬ、神の言を用ゐたまはずして、早く崩りましぬることを。》

 『白河本旧事紀』すなわち『旧事紀白河家三十巻本』は次のように記す。

 《九年庚辰春二月癸卯の朔丁未、武内(ノ)宿祢、強て天皇に勧めたまふ。手(ミテ)自(ミズカラ)琴を鼓て、以て神、皇后に託(カカリ)て之を誨へんことを請ふ。時に則ち神、皇后に託りて、乃ち曰く。皇后の胎みたまふ所の皇子、必ず彼の宝国を獲ん。天皇神言を信ぜず。我れ則ち之を護ることなし。天皇、仍を疑ふ心有り。已に琴を鼓つと雖ども曲の調べ精らず。時に日将さに暮んとす。琴の声忽ち絶つ。乃ち燭を挙て之を視れば、天皇身痛むこと有りて、明日(戊申)崩たまひぬ。聖寿一百歳位に在ること九年。》

 『日本書紀』とずいぶん違う。

 仲哀天皇の聖寿について、わたしには「一百歳」が後に『古事記』と同様に「五十二歳」になったとしても、「五十二歳」が後に「一百歳」になったとは考えられない。

http://www.geocities.jp/identaisi22000/

 

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