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キハ55系の編成を確認していたら、ふとした矛盾に気づいてしまいました。それは、
準急『ちどり』が昭和36年10月〜昭和38年9月までキロハ25を連結していたという
記録です。恐らく、どの資料も「主要客車列車編成順序表」(国鉄本社運転局・営業
局)を基にしていると思われますが、一方では昭和37年4月現在の「国鉄動力車配置
表」には、受け持ちの岩国にキロハ25の配置はなく、一年前の同配置表から既に岩国
にはキロ25が3両配置されています。『ちどり』は昭和38年10月からキロ25連結とされ
ていますので、キロ25の誤りではないかとも思うのですが、ではなぜわざわざキロハ
18→キロハ25→キロ25という変遷がまことしやかに記録として残っているのでしょう?
せめて証拠写真でもあれば良いのですが、キロハ25が実際に使われた可能性を探って
みることにしました。目をつけたのは、たじま・みささ・みまさか用の宮原区10・11・
12(ちぇっ!バス窓じゃないのか)です。名古屋車、福知山車、高松車はどれも最終
配置まで残って、そこでキハ26 300番台へ格下げされているのに対して、これらは
最終配置が鳥取へ移っている点が臭いと思ったからです。ただ、”みささ”がらみで
鳥取へ流れたとみる方が自然でしょう。これまで信じきってTOMIX製品を用いた編成を
作っていたのに、果たして本当に『ちどり』にキロハ25が使われたのか否か、この謎
は深まるばかりです。
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